大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和45年(ワ)5034号 判決

原告

ラジヤンス・ナショナル・ド・バロリザシオン・ド・ラ・ルシエルシユ

右代表者

ジャン・ビエール・ベラール

原告

大日本製薬株式会社

右代表者

宮武徳次郎

右原告両名訴訟代理人弁護士

馬瀬文夫

外二名

右輔佐人弁理士

松本武彦

外一名

被告

フナイ薬品工業株式会社

右代表者

平田武彦

右訴訟代理人弁護士

久田原昭夫

外三名

右輔佐人弁理士

山下白

外一名

主文

一、被告は別紙目録記載の方法を用いて塩酸メクロフェノキセート及びその製剤品を製造してはならない。

二、被告は前項の塩酸メクロフェノキセート及びその製剤品を譲渡し、譲渡のために展示の行為をしてはならない。

三、被告はその占有にかかる第一項の物件及びその製剤品を廃棄しなければならない。

四、訴訟費用は被告の負担とする。

事実《省略》

理由

一本件特許第四一三一九〇号は、訴外サントル・ナショナル・ド・ラ・ルシエルシュ・シアンテイフイーク(CNRS)が一九五九年四月一五日並びに同年一二月三〇日の両フランス特許出願による優先権主張をして昭和三五年四月一五日日本に特許出願をなし、昭和三八年六月五日公告を経て、同年一〇月三一日特許登録になつたもので、原告大日本製薬が本件特許につき原告主張内容の専用実施権の設定登録を得たことは当事者間に争いなく、〈証拠〉によると、原告ラジヤンス・ナショナル・ド・バロリザシオン・ド・ラ・ルシエルシュ(ANVAR)は、昭和四五年八月二六日譲渡により本件特許権を取得し、同年一一月一三日その登録を経たことが認められる。

本件特許の特許請求の範囲の記載がつぎのとおり、すなわち、

「無水有機媒質中で、一般式RCOOH(但し、Rはハロ又はジハロフェノキシメチル、アルキルーハロフェノキシメチル、α―又はβ―チフチルメチル、α―又はβ―ナフトキシメチル又はβ―インドリルメチル基を示す)で現わされる酸のハロゲン化物一モルを適当なアミノアルコール又はアミノチオール一又は二モルと反応させるか又は遊離酸を前記アミノアルコール又はアミノチオールに相当するハロゲン化アミンと反応させ、最後にこの反応生成物を所望の酸類又はハロアルキルと反応させることを特徴とし、

一般式  (但し、Rは上記と同様の基、Xは酸素又は硫黄原子、Aは側鎖又は直鎖を有する二価の炭化水素基、R'及びR"は水素原子又はそれぞれが同一か又は異なる不飽和又は飽和の脂肪族、芳香族又は複素環の一価残基又は同時にヘテロ原子又はヘテロ原子をもつていない二価残基又は一価残基若くは水素原子及びA基と環状鎖を形成する二価残基を示す)により現わされる新規塩基性エステル類及び該エステルと酸類又は第四級無毒ハロゲン化アルキル化剤との附加塩の製造方法」、

であること、ならびに被告が昭和四五年四月一〇日から塩酸メクロフェノキセートを製造し、製剤のうえ、販売していること、その製造方法(被告方法)が別紙目録記載のとおりであること、塩酸メクロフェノキセートおよびメクロフェノキセートが本件特許の目的物質に含まれることは、いずれも当事者間に争いがない。

二本件特許発明の課題と解決

〈証拠〉によると、つぎの事実が認められる。すなわち、本件特許の優先日当時、β―ジメチルアミノエタノールが中枢神経刺激作用を有することは既に知られていたが、その効力と持続性の点において未だ不満足な状態にあつたので、業界では医薬品の効力の持続化をはかるため、エステル化による構造変換の手段が慣用せられていたところ、本件特許の発明者は、β―ジメチルアミノエタノールに適当な酸を反応させ新規な塩基性エステルを創製することを課題として研究の末P―クロルフェノキシ酢酸のβ―ジメチルアミノエチルエステル塩酸塩ならびにこれに近似する物質が動物組織の中枢神経系に及ぼす刺激作用を有する点において治療的価値が高いことをつきとめ、右特異な薬効を有する新規物質の製造方法につき、特許請求の範囲に記載の通り構成して特許出願をなし特許を得たものである。このように認めることができる。

なお、〈証拠〉には、塩酸メクロフェノキセートは、ブドウ糖の脳内への移行促進に対して有効であり、視床下部―脳下垂体分泌刺激作用を有するという極めて注目すべき事実が報告せられている。

三本件特許発明の実施形式

本件特許の特許請求の範囲に記載されている内容は、つぎの二つの実施形式に大別することができる。

(但し、式中R・X・A・R'・R"はいずれも特許請求の範囲に記載されたとおり。YはOH又はSHを示すものとする。以下上記記号の用例はすべて同じ)。

(1)  一般式RCOOHで現わされる酸のハロゲン化物一モルとで現わされるアミノアルコール又はアミノチオール一モル又は二モルを無水有機媒質中で反応させて、一般式で現わされる新規塩基性エステル類及び該エステルと酸類又は第四級無毒ハロゲン化アルキル化剤との附加塩を得る(得る(以下製法Ⅰという)。

(2)  一般式RCOOHで現わされる遊離酸とで現わされるアミノアルコール又はアミノチオールのハロゲン化アミンを無水有機媒質中で反応させて、右(1)と同一の目的物を得る(以下製法Ⅱという)。

もつとも、特許請求の範囲には、アミノアルコール又はアミノチオールについて、単に「適当な」と記載されているだけであるが、目的物を示す一般式から、本件特許発明の方法に用いられるアミノアルコール又はアミノチオールは前記のとおり、一般式で現わされる物質を意味すると解せられる。

なお、〈証拠〉によると、本件特許の出願時の明細書の。特許請求の範囲の記載はつぎのとおりであつたことが認められる。

「植物生長調整活性を有する有機酸群から選択した酸のハロゲン化物をアミノアルコール又はアミノ基を有するアミノチオールと無水有機媒質中で反応させ、一般式(茲にXは酸素又は硫黄原子、Aは直鎖又は側鎖を有する二価の炭化水素基、R'及びR"の夫々は水素原子又は飽和又は不飽和脂肪族、芳香族又は複素環の一価基或は複素環中の炭素以外の原子を含む二価基、若しくはA基と環状鎖を形成する二価基と結合した一価基又は水素原子)を造る事を特徴とする新規アミノエステル類及びアミノチオエステル類の製造方法」

右出願時の特許請求の範囲の記載は、現特許請求の範囲に記載の製法Ⅰに対応するものであり、製法Ⅱについては全く記載がない。製法Ⅱは出願後訂正付加されたものである。

本件特許公報の、発明の詳細な説明の項(一頁右欄一六行目以下)に、製法Ⅱにつき、つぎのとおり記載されている。

「塩類、特に塩酸塩から直接に新規塩基性アミノエステル類を造るには前述の酸R―CO―OHを無水有機媒質中で選択したアミノアルコールに相当するのハロゲン化アミンと共に加熱する。

この方法はβ―インドール酢酸の場合の様に酸塩化物R―CO―CIの製造が難しいか又は不可能な場合に特に有用である。」

本件特許公報による、明細書の「発明の詳細な説明」の項の記載内容は、大体つぎのとおりである。

公報一頁左欄一行から同左欄下から九行目までは本発明に関する概括的説明、同下から八行目より左欄終りまでと同右欄一一行から一五行目までは製法Ⅰの説明、同右欄一行から一〇行目までは冒頭の一般式で現わされた目的生成物中のA基の説明、同右欄一六行から二二行までは、製法Ⅱの説明、同二三行から二頁左欄四行目までは附加塩に関する説明、同頁左欄一一行から右欄一五行目までは、本件発明方法の目的物に属するP―クロルフェノキシ酢酸のβ―ジメチルアミノエチルエステルの薬効ならびに医薬的用途についての説明である。ついで実施例として、1ないし8が記載してある。そのうち1ないし5と8が製法Ⅰに関するものであり、同6および7が製法Ⅱに関するものである。実施例8はP―クロルフェノキシ酢酸のβ―ジメチルアミノエチルエステルの塩酸塩即ち塩酸メクロフェノキセートについての製法の実施例である。実施例7を除く実施例はいずれも原料の一方に一級アルコール又はそのハロゲン化物を使用する場合のものであり、実施例7は1―ジメチルアミノ―2―クロル―2―プロパンという二級アルコールのハロゲン化物を用いる場合の実施例である。

原告は、本件特許の特許請求の範囲に記載の、「無水有機媒質中で……反応させ」とは、本件特許方法において用いられる媒質が実質上無水であることが必要であることを意味し、例えばベンゼン、トルエン、キシレン等水と相溶性の乏しい溶媒の場合まで事前に無水操作を施すことを必要とするものではない、また平衡反応の場合においては脱水操作を用いる限り、無水有機溶媒中の反応というを妨げない旨主張する。しかし、右「無水有機媒質中で」との事項は、特許請求の範囲に記載の全文に徴すれば、原料の一方に「酸のハロゲン化物」か「ハロゲン化アミン」を用いることに対応して記載せられているもの、すなわち、原料にハロゲン化物を用いることから当然要求せられる必要条件として記載せられていると解すべきであるから、その記載自体、「原料にハロゲン化物を用いる」との要件と離れて格別の意味はないと解せられる。したがつて、副生物として水を生ずるような平衡反応の如き場合は、たとえ脱水操作を施してもこれを無水有機媒質中における処理方法ということができないことは多言を要しないであろう。

以上検討したところによれば、本件特許の明細書に開示してある特許発明の実施形式は、製法Ⅰ、Ⅱに関するもののみであり、他の実施形式については明細書の詳細な説明中にもなんら触れるところがない。

製法Ⅰ、Ⅱの操作方法は原料の組み合せからみて、脱ハロゲン化水素反応を行わしめて目的物を得るものであることが明らかである。

四本件特許方法による塩酸メクロフェノキセート製造の実施態様

被告方法の目的物質である塩酸メクロフェノキセート(P―クロルフェノキシ酢酸のβ―ジメチルアミノエチルエステル塩酸塩)は、本件特許の目的物を示す一般式において、RをP―クロルフェノキシメチル基、Xを酸素Aをエチレン基(−CH2CH2)、R'、R"をいずれもメチル基(−CH3)として選んだ物質に塩化水素を反応させた物に該当する。そこで、特許請求の範囲に記載された実施形式に従い塩酸メクロフェノキセートの製法を示すと、つぎの三つの実施態様となる。

(イ)  P―クロルフェノキシ酢酸のクロライドとβ―ジメチルアミノエタノールとを一モル対一モルの割合で反応させ、塩酸メクロフエノキセートを得る(a1法という。)。

(ロ)  P―クロルフェノキシ酢酸のハロゲン化物とβ―ジメチルアミノェタノールとを、それぞれ一対二モルの割合で反応させ、メクロフェノキセートの遊離塩基を生成せしめ、これに塩化水素を反応させて、塩酸メクロフェノキセートを得る(a2法という。)。

(ハ)  P―クロルフェノキシ酢酸とβ―ジメチルアミノエチルクロライドとを反応させ塩酸メクロフエノキセートを得る(b法という。)。

五被告方法と本件特許方法との比較

被告方法は、別紙目録記載のとおり、「P―クロルフェノキシ酢酸とβ―ジメチルアミノエタノールとを、無水操作を施さないキシレン中で、反応によつて生成する水を連続的に分離しながら反応せしめ、次いで塩化水素ガスを吹込み、塩酸メクロフェノキセートを得る方法」である。

ところで、先ずメクロフェノキセートを得、これを塩酸メクロフェノキセートにする本件特許方法の実施形式a2法は、「無水有機媒質中で、P―クロルフェノキシ酢酸のハロゲン化物とβ―ジメチルアミノエタノールとを、それぞれ一対二モルの割合で反応させ、メクロフェノキセートの遊離塩基を生成せしめ、これに塩化水素を反応させて、塩酸メクロフェノキセートを得る」という方法である。

右二つの方法を比較すると、いずれも原料成分としてP―クロルフェノキシ酢酸とβ―ジメチルアミノエタノールを使用し、メクロフェノキセートを生成せしめ、これに塩化水素ガスを吹込んで塩酸メクロフェノキセートを得る点において共通している。しかし、原料の点は、被告方法においてはいずれもハロゲン化物の形を径由せず、遊離の酸と遊離のアルコールをそのまま使用するに対し、本件特許方法a2法では、P―クロルフェノキシ酢酸はそのハロゲン化物にして用いるものである。その結果操作方法が異り、被告方法においては脱水反応を行わしめるものであるのに対し、本件特許方法においては脱ハロゲン化水素反応を行わしめるものであり、被告方法においては副生物として水を生ずるから無水有機媒質中の反応ということができないが、本件特許方法では無水有機媒質中で反応を行わしめるものである。

したがつて、被告方法は、本件特許のa2法と実施形式が異るし、本件特許のa1法、b法とも実施形式が異る。しかし、被告方法が本件特許方法の保護範囲に属するかどうかについて更に考察を進める必要がある。

六本件特許発明の保護範囲

(1)  本件特許の優先日当時、エステル化諸法として、原料に酸ハロゲン化物とアルコールを用いる「酸ハロゲナイド法」、カルボン酸とハロゲン化アルキルを用いる「ハロゲン化アルキルアミン法」、酸無水物とアルコールを用いる「酸無水物法」、カルボン酸とアルコールを用いる「カルボン酸法」、エステル相互交換による「エステル交換法」その他が知られていたことは当事者間に争いがなく、右エステル化諸法のうち、「酸ハロゲナイド法」と「ハロゲン化アルキルアミン法」が工業的には最もよく慣用されていたものであることは被告も争わないところである。

なお、原告大日本製薬がケミカル・アブストラクツ誌の事物索引を利用し、ジメチルアミノエタノール、ジエチルアミノエタノールの各エステルについて、本件特許の優先日前の既知の合成法を調査し、各種エステル製法の利用度の統計をとつた報告書である〈証拠〉によると、つぎの調査結果が認められる。

甲、β―ジメチルアミノエタノールのエステル製造法

酸クロライド法 一三八件

(四二、六%)

ハロゲン化アルキルアミン法

八九件(二七、五%)

エステル交換法

四一件(一二、七%)

アミノ基置換法二五件(七、七%)

カルボン酸法 一五件(四、六%)

酸無水物法   五件(一、五%)

その他    一一件(三、四%)

合計    三二四件

乙、β―ジエチルアミノエタノールのエステル製造法

酸クロライド法

二六〇件(四一、五%)

ハロゲン化アルキルアミン法

一九三件(三〇、八%)

エステル交換法

九三件(一四、八%)

アミノ基置換法四〇件(六、四%)

カルボン酸法 二〇件(三、二%)

酸無水物法  一四件(二、二%)

その他     七件(一、一%)

合計    六二七件

(2)  これらの事実ならびに前記二(本件特許発明の課題と解決)に認定した事実、さらに特許法三二条二、三号(特許を受けることができない発明)の規定の存在を考慮し、本件特許公報(甲第一号証)を仔細に検討して考えると、本件特許発明において、固有の発明的性格が存する新規な点は、特許請求の範囲に記載の酸又はミアノアルコールあるいはアミノチオールの「ハロゲン化」にはなく、専ら右酸又はアミノアルコールあるいはアミノチオールの選定部分にあると認めるべきである。すなわち、で現わされる新規エステル類を生成せしめるため、RCOOHで現わされる酸とで現わされるアミノアルコールあるいはアミノチオール(以上の式中R、X、A、R'、R"、Yの各定義については前記三に記載したところを参照)を原料成分に選定した点に発明的性格が存在すると認めざるを得ない。

(3)  そうすると、被告方法は本件特許方法と操作方法を異にするが、本件特許発明の発明的性格が存する新規部分を共通にするものであるというべきである。

(4)  被告は本件特許優先日、

の構造式を有する、β―ジエチルアミノエチル4―フルオロフェノキシアセテートが公知物質であり、本件特許明細書の実施例8で得られるメクロフェノキセートを比較すると、右公知物質の末端(―C2H5)がメクロフェノキセートではメチル基(−CH3)であること、および右公知物質のふつ素がメクロフェノキセートでは塩素であることの化学構造上わずかな相違がみられるが、メチル基とエチル基がいずれも本件特許請求の範囲のR'およびR"の定義で現わされているだけでなく最も一般的、代表的な基であり、塩素とふつ素がともにハロゲン原子であつて本件特許請求の範囲に含まれるから、本件特許発明の製法に得られる「物」としてみる場合、前記二つの物質は同一概念であらわされている同一の「物」と解すべきである旨主張し、右β―ジエチルアミノエチル4―フルオロフェノキシアセテートが優先日公知物質であつたことは原告も争わないところである。そして〈証拠〉によると、原告ANVARは、昭和四六年四月三〇日特許庁に対し、本件特許明細書の特許請求の範囲中のRCCOHのRの定義「Rはハロ又はジハロフェノキシメルチ、アルキル―ハロフェノキシメチル、α―又はβ―ナフチルメチル、α―又はβ―ナフトキシメチル又はβ―インドリルメチル基を示す」との記載を、「Rはクロルフェノキシメチル又はアルキルクロルフェノキシメチル基を示す」と訂正するほか、これに伴い詳細な説明の項ならびに昭和三七年一〇月一二日付提出の手続補正書の右関係箇所につき不必要な事項の削除あるいは訂正を請求し、昭和四七年一〇月二三日特許審判請求公告三〇〇をもつて公告がなされた事実が認められる。つまり、原告ANVARは本件特許の特許請求の範囲に記載の原料及び目的物についての一般式による記載が広きに過ぎたことを自認し、被告のいう公知化合物をも含み得る記載であつたため、右の如く特許請求の範囲の減縮を請求したものといえよう。

しかし、被告主張の公知物質中、メクロフェノキセートに化学構造上最も近似した前記β―ジェチルアミノエチル4―フルオロフェノキシアセテートが、塩酸メクロフェノキセートと同様、「ブドウ糖の脳内への移行促進に対して有効であり、視床下部―脳下垂体分泌刺激作用を有する」との薬効その他同程度の作用効果を有すると認められる証拠は本件に提出されていない。

したがつて、右被告の主張事実は本件特許発明における発明的性格が存する新規な点についての前記認定を左右にするものではない。

(5)  被告は、本件特許発明の本質をなす解決原理は、原料のいずれか一方にハロゲン化物を用い、操作方法としては脱ハロゲン化水素反応を行わしめることによつて特定の塩基性エステルを得る点にあり、これが本件特許発明の中核をなす技術思想である旨主張する。

右被告の主張は本件特許発明が特異な薬効を有する特定の化合物の製造方法として特許されたものであることを否定し、本件特許発明を単なる特定構造の物質の製造方法として特許されたものであると解したうえ、その方法の特徴のうち、原料の一方にハロゲン化物を用いる点を強調するものというべきである。

しかし、弁論の全趣旨によれば、一般にカルボン酸とアミノアルコールを反応せしめてエステルを製造するにあたり、右原料のうち、いずれかをそのハロゲン化物の形を経由して反応させるときは原料の活性化および反応の促進上良好であるとの知見、ならびにその際脱ハロゲン化水素反応を行わしめて目的物を得るという操作手段はいずれも当業者の常識に属するものであると解せられ、また、前記優先日当時における技術状況に照らすと、アミノアルコールのエスチルの製法では、酸ハロゲナイド法に属する酸クロライド法が断然第一位に、ハロゲン化アルキルアミン法がこれに次ぐ第二位として多く用いられていた事実が認められるのであり、本件特許発明の目的物たる新規エステルを生成せしめるにつき酸クロライド法ないしハロゲン化アルキルアミン法を用いることに格別問題があつたとは認められないのであるから、本件特許発明の方法の構成に右二つの方法を採用したこと自体、ないしその方法を用いるための前工程として特許請求の範囲に記載の酸又はアミノアルコールあるいはアミノチオールをハロゲン化物とすること自体はその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易に知り得る範囲の事項であると解せられ、右の点に本件特許発明における固有の発明的性格が存するとは到底認めることができない。したがつて、本件特許発明を課題に対する発明的解決としてみる限り、特異な薬効を有する特定化合物を生成せしめるとの目的を志向してなされる原料成分の選定の点を度外視して考察することはできないのであつて、この点を重視することは特許法三二条の法意に抵触するものではないと解する。

(6)  被告はさらに、本件特許発明の解決原理についての主張を理由づけるため、本件特許方法は、カルボン酸法では実施困難な二級、三級アルコールを原料に用いて生成せしめる物質をも含めたうえ、目的物全部について確実に実施しうる方法として、原料の一方は必ずハロゲン化物として用いるところの酸ハロゲナイド法とハロゲン化アルキルアミン法による各実施方式を選んで特許請求したものである旨主張する。本件特許発明が二級、三級アルコールを原料に用いて生成せしめる物質も含むことは特許請求の範囲の記載から明らかであり、なお、明細書記載の実施例7は二級アルコールのハロゲン化物を原料に用いる場合に関するものであり、二級、三級アルコールを原料に用いてカルボン酸法によりエステルを生成せしめる技法は一般に反応の進行が好ましくなく、収率も悪いことが〈証拠〉によつても認めうるところである。したがつて、本件特許の出願人は右の事情をも考慮して本件特許発明を酸ハロゲナイド法とハロゲン化アルキルアミン法による各実施形式を選んで特許請求したものと推測することができるけれども、本件特許公報全体の記載ならびに優先日当時における技術状況に照らすときは、被告主張の右事情を根拠に、特許請求の範囲に記載の酸またはアミノアルコールあるいはアミノチオールのうちいずれかをハロゲン化物として反応せしめる点を、均等の主張を許さない本質的要件であるとは解することができない。けだし、その点に本件特許発明固有の発明的性格が存するとは認められないからである。

なお、本件特許請求の範囲に記載の酸ハロゲナイド法でも、目的物のすべてに確実に実施できる方法として掲げられているのでないことは、本件特許公報の発明の詳細な説明中(公報一頁右欄二〇行目以下)の、ハロゲン化アルキルアミン法はβ―インドール酢酸の場合の様に酸塩化物R―CO―CIの製造が難しいか又は不可能な場合に特に有用である趣旨の記載に徴して明らかなところである。

(7)  もつとも、本件特許発明は、特許請求の範囲には酸ハロゲナイド法とハロゲン化アルキルアミン法に属する実施形式だけが掲げられているのであり、特許明細書の発明の詳細な説明の項にも、専ら右二つの実施形式による実施例が示してあるにとどまり、その他の実施形式についてはなんら触れてないのであるから、たとえ、第三者の用いる方法が本件特許と原料の点において共通し、本件特許発明の開示から示唆を得て開発した実施形式であると認められる場合であつても、その実施形式が優先日当時の技術水準では当業者でも相当研究に値する努力を払わなければ確実に実施し得ることを知り得ないものであるときは、その実施形式についてまで本件発明が完成していたと認められないのは当然であり、その実施形式を本件特許発明の保護範囲に属せしめるべきでないことは言うまでもないことであるが、特許発明にかかる新規物質を得ることを目的とし、特許方法中これに固有の発明的性格を有する新規部分を共通にし、その余の部分は特許の優先日当時、化学教育を受けた当業者であれば格別研究に値する努力をしなくても、公知の知識、当業者の常識に基づき特許方法から容易に推考し得る範囲の実施形式については、発明者において特許発明とともに、右実施形式も均等の技術として発明を完成していたと認めるのが相当である。したがつて、特許公報により、新規な薬効を有する化合物の化学構造、融点等が教示され、その製造方法の実施例について当業者を含む一般に開示がなされるときは、前記の要件を充足するような均等技術についてはたとえ説明がそこまで及んでいなくても、当業者においてそれを推考することが容易である筈であるということができるのであるから、右発明の開示は右均等方法をも含めて暗黙裡に教示しているものと解しなければならない。そうすると、出願人において右均等方法につき権利を主張しない旨を表明したこと、その他特許の保護範囲から右均等方法を用いる製法を除外して解釈すべき等特段の事情がない限り、第三者が右均等手段を用いる製法を用いることは特許発明に属する技術を剽窃することに外ならず、これに因り特許権者の権利を害するものといわなければならない。

本件特許の明細書において、カルボン酸法を用いる製法につき明らかに請求を放棄したものと解すべき記載はない。

(8)  特許法三二条は、医薬や化学方法により製造されるべき物質等について特許を受けることができない旨規定している。

当裁判所は、右規定は、もし、右物質の発明者にあらゆる用途、あらゆる製法を支配する強力な独占的効力をもし物質特許を賦与して了うと、も早や他人がその物質についてより優れた製造方法の発明をなすことを奨励し期待することが困難になるので物質特許を認めることは政策として好ましくないと考え、新規物質の発明がなされた後においても、より良き製法の発明がなされその製法につき特許出願があつたときは、その後出の方法特許の出願人に対しても独立した特許権者の地位を得せしめ、十分な保護が計れる余地を残すため、新規物質の発明の出願人に対して物質特許までは与えない旨を規定したものと解する。

そうだとすれば、右法条はその趣旨に従つて解釈すべく、右物質特許禁止の規定からは、新規物質の製法特許の保護範囲の認定につき一般の場合と異なつた限定的解釈をとらなければならない理由は生じないと解すべきである。

そこで、被告方法が本件特許方法と均等の技術と認むべきかどうかについて考察する。

七被告方法は本件特許方法と特許法上均等か

(1)  被告が現に被告方法により塩酸メクロフェノキセート(P―クロルフェノキシ酢酸のβ―ジメチルアミノエチルエステルの塩酸塩)を製造している以上、P―クロルフェノキシ酢酸のハロゲン化物に代え、その遊離酸にβ―ジメチルアミノエチルアルコールを反応させても右ハロゲン化物を用いた場合と同一の目的物が生成することは明らかなところである。

(2)  本件酸クロライド法(a1法、a2法)と被告方法について反応機構を直接実験した証拠は提出されていない。しかしながら、争いのない甲第三三号証によると、アセチルクロライドがアルコールと反応してエステルをつくるときの反応機構につき、同第三四号証によると、酸塩化物によるアチル化の反応機構につき、いずれも不飽和炭素(カルボル炭素)上の求核置換反応である旨の記載があるので、これにより本件特許の実施態様a1法、a2法の場合も右と同一反応機構により反応が進行するものと推測され、同第三五号証、第三六号証によると被告方法の場合もまた、右と同一の反応機構により反応が進行することが推測される。そうすると、a1法、a2法も被告方法も均しくβ―ジメチルアミノエタノールが試薬であり、a1法、a2法においてはP―クロルフェノキシ酢酸クロライドが、被告方法においてはP―クロルフェノキシ酢酸がそれぞれ基質としての役割を果たし、共にその置換反応がカルボニル炭素(アシル基)上で生起する求核置換反応であることを推認することができる。

(3)  成立に争いない甲第四五号証の一、二、同第四六号証の一、二によると、P―クロルフェノキシ酢酸の融点は一五五〜六C(一五七〜八C)であり、2―ジメチルアミノエチルアルコールの沸点は一三五Cであることが一九五三年出版の DICTIONARY OF ORGANIC CONPOUNDSの五五〇頁ならびに二七七頁に登載されており、塩酸メクロフェノキセートの融点が一三九Cであることは本件特許明細書の実施例8に記載せられている。

(4)  成立に争いない甲第五号証、同第一二号証、同第二一号証、同第二五号証の各一、二、同第二〇号証によると、アミノアルコールのエステルの製造にカルボン融法を用いる場合通常用いられる溶媒は、ベンゼン、トルエン、キシレン等であることが認められ、沸点はべンぜンが八〇C、トルエンが一一〇C、キシレンが一三五C乃至一四五Cであるから、反応をより高温加熱下で行なわせるためには、右各種溶媒のうち、沸点の高いキシレンが最も適当であることが推測される。

(5)  カルボン酸とアルコールを混合加熱すると水が生成し、この反応は可逆反応であるから、収率良くエステルを得るためには生成する水を除く必要があることは古くよりよく知られた化学常識であり、〈証拠〉によると、本件特許の優先日当時既に共沸脱水装置が知られていたことが明らかである。

(6)  被告が被告方法の具体例として提出した〈証拠〉によると、被告が実際に採用している具体的方法はつぎの如く要約される。

「(イ) P―クロルフェノキシ酢酸1.0モルに対しβ―ジメチルアミノエタノール1.2モルを用いる。

(ロ) 溶媒はキシレン

(ハ) 加熱温度はキシレン(沸点約一三五乃至一四五C)の還流条件下

(ニ) 副生する水の除去、すなわち生成する水をキシレンと共沸させて水分分離器により連続的に除く

(ホ) 反応時間は約五時間半

(ヘ) 後処理、すなわち、反応液を冷却し濾過した後生成するメクロフェノキセートを塩化水素により塩酸塩とし、無水イソプロパノールから再結晶する」

(7)  右被告方法の操作条件について、成立に争いない甲第五〇号証の鑑定人湯川泰秀(大阪大学教授)の鑑定書に、つぎの如き鑑定の理由ならびに結果が述べられている。

(一)  鑑定理由の要約

右(イ)の原料のモル比について

エステル化の如き平衡反応では、反応完結のために原料であるカルボン酸とアルコールの何れか一方を過剰に用いる方が有利であるが、他面、酢酸やエタノールと異なり、高価な原料の場合は、回収損失を避けるため真に消費される量の使用が望ましいから、通常、モル比を1対1.1ないし1対1、5程度にとどめ、その代り連続的に副生する水を除いて反応を完結させる手段がとられる。

(ロ) の溶媒について

エステルに用いる溶媒に必要な条件

(a) 反応の進行に必要な温度に加熱できること

反応速度は、通常、温度の上昇とともに増大するが、他方では有機化合物は高温に加熱すると分解を伴うから、反応の進行に必要な最低限度にとどめることが望ましい。

(6) 還流下に水と共沸して生成する水を系外に除去できること。

この場合、水と共沸する性質を有するほかに、冷却時に水と二層に分離することが必要である。

(c) 原料であるカルボン酸、アルコールおよび目的エステルと条件下で化学反応をおこさないこと

これは、溶媒として当然に必要な一般条件であつて、アルコール類やエステル類を溶媒として用いるとエステル交換反応をおこすことはいうまでもない。化学的に最も不活性な溶媒は炭化水素類である。

右の条件を満足し、かつ経済的に有利なものとして、通常ベンゼン、トルエン、キシレン等の芳香族炭化水素系の溶媒が用いられる。これらは同族体であり、化学的性質はほとんど等しく、炭素数の増加とともに沸点が上昇する。

通常の実験手順としては、まずベンゼンを用い還流下に反応を試み、反応が進行しなければ次にトルエンを試み、それでも不満足であればキシレンを用いるのが常法である。キシレンより高沸点の溶媒を用いると分解反応を伴うことが多いので市販入手可能であつても殆んど用いられない。ベンゼン、トルエン、キシレンはいずれも前記(a)、(b)、(c)の要件を満足することはよく知られている。これらのうち何れを選択するかはエステルの種類により決まる。

(ハ) の加熱温度につき

反応に最適の温度を経験的に決めることは、前項(ロ)で述べた溶媒の選定に外ならない。本件の場合、化学常識からキシレンが最適であろうという大まかな推定も可能である。無触媒エステル化の場合は、ベンゼンの還流温度では通常反応が遅く、トルエンまたはキシレンを必要とすることが文献により知られている。

(ニ) 副生する水の除去について

副生する水を連続的に除去するため水分分離器を用いることが周知であり、学生実験でも昔からよく実用されている。

(ホ) 反応時間について

還流溶媒が決定されるとそれに伴つて必要な反応時間が決定される。キシレンで五時間半であればトルエンではさらに長時間を要するであろうし、ベンゼンでは反応の進行が観察されないほど遅いであろう。

結局、経済的に適当な反応時間を選定することは溶媒の選択に外ならない。

(ヘ) 後処理について

被告方法における後処理は、一般に塩基性エステルを単離精製する常法である。

なお、アミノアルコール類とカルボン酸の加熱脱水によるエステル化反応では、アミノアルコールがアミノ基のために塩基性を呈するので、一般のアルコールを用いる場合と異なり、鉱酸(塩酸、硫酸)の添加は、アミノアルコールの鉱酸塩を形成し、これがしばしば不溶物として溶媒から折出するため、かえつて反応を不利にするから必ずしも得策ではない。

要するに、(イ)、(ロ)、(ハ)、(ニ)、(ホ)、(ヘ)の何れについても、被告方法の条件は極めて常識的なものであり、これを選択実施するのに格別の苦労はなく、容易に導かれるものであある。

(二)  鑑定の結果

「塩酸メクロフェノキセートの製造方法として被告方法に示された反応およびその条件は一般化学技術において極めて通常的なものであり、特別の創意を必要とせず、何等新規性のない事項である。殊に、本件特許の公開を前提とすれば、一般化学技術者が常識として誰でも想起するものであり、しかもその実施は極めて容易であつたと判断される。」

(8)  右〈証拠〉による鑑定の結果ならびにこれと同旨に帰する成立に争いない甲第一七号証および同第四九号証の鑑定人宍戸圭一(京都大学名誉教授)の各鑑定書による鑑定の結果によると、塩酸メクロフェノキセートを製造する被告方法ならびにその操作条件は、本件特許の公開を前提とすれば、これから一般化学技術者が常識として当然想起するものであり、何等新規性なく、その実施は極めて容易であるとの技術関係を認めることができる。

〈証拠〉の各鑑定書中前記認定に供した鑑定書による鑑定意見と異なる部分は採用し難い。

(9)  被告は、被告方法を実施するについては、単なる抽象的な教科書的知識だけでは十分ではなく、適当な操作条件を見出すについて種々困難な点があつたのであるが、遂にこれを克服して開発したものである旨抗争するけれども、右困難性克服の点につき首肯するに足る証拠はない。

(10)  以上検討したところによれば、被告方法はP―クロルフェノキシ酢酸とβ―ジメチルアミノエタノールを原料として用いるものであるから、特許方法固有の発明的性格が存する新規な部分を共通にするものであり、ただその原料のうちいずれかをハロゲン化物として反応せしめるという特許方法の要件を欠いている点については、その要件に代る手段として反応温度をより高める、脱水方法を用いる等の処理手段を施して特許の目的物に含まれる塩酸メクロフエノキセートの新規物質を得ているのであり、しかも右代替手段の技法は優先日当時当業者に本件特許方法から極めて推考容易な域を出でない事項であると認められるのであるから、被告方法は本件特許方法の「原料のうちいずれかをハロゲン化物とする」との要件につき均等の手段を用いているものと認めるべく、被告の被告方法の実施行為は本件特許権を侵害するものといわなければならない。

八よつて、特許権者たる原告ANVARならびにその専用実施権者たる原告大日本製薬が請求の趣旨第一ないし四項の判決を求める本訴請求を理由ありと認めて認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

なお、原告は仮執行の宣言を求めているが、本件訴訟の性質に鑑みこれを付するのは適当でないと認めてこれを付さないことにする。

(大江健次郎 楠賢二 庵前重和)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例